酒と数学と(検閲により削除されました)

ブログタイトルは人生の目標です

日記03 人助けの話

こんにちは,ぼくではないひとです.

 

きょう友人とひさびさにラーメンを食べました.外の寒さとの落差もあって温かいものは非常に美味しかったです(0点の食レポ).

 

ところで,今日は友人の家で待ち合わせだったのですが,そこに向かう道中おばあさんが重い荷物を運んでいました.ぼくが「重そうですがお荷物お持ちしましょうか?」と声をかけたところ体よく断られてしまったので,「うるせえ他人の厚意は素直に受け取っとけやボケカス!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」っつってその場で撲殺しました.嘘です.

 

 

ぼくは(自分で言うのもなんですが)他人に親切な行いをする方だと思います.重い荷物を持った老人を見かけたら必ずと言っていいほど高確率で声をかけるし,ハンカチが落ちてたら近場の交番を探して届けるし,自転車を倒してしまって大変そうにしている人がいたら助けます.

 

さて,これだけ聞くとまともに見えますがその実,頭の中では「誰か俺を救ってくれ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」の気持ちであふれています.今日はお兄さんこの話をしようと思うんだ,心して聞いてくれるかい?別にそんな心して聞かなくていいです.

 

 

 

どういうことかというと,別にぼくは困っている人に同情したりかわいそうだと思ったりは多くの場合*1していなくて(最悪の人間???),自分の生存を肯定するための道具として人助けという善行を利用しています.

 

 

言ってしまえば道端で困っている人とかいうのはぼくの中で「生きていてもいいよポイント」を稼ぐためのボーナスステージであって,出会ったらラッキー的な側面が非常に強いです.こういうことばっかり考えてるから自己肯定最強マンになれないんだろ?知ってるようるせえおいお前のせいか?なあおい見てるんだろお前だよこっち向け

 

 

 

 

とは言っても100パーセント純粋にこう思っているわけではなくて,実際は7割くらいこの気持ちに突き動かされて活動していることが多いです(精いっぱいの保身).

 

じゃあ残りの3割は何かというと,小中のまともな道徳の授業(?)によって育まれた,「人類全体の総幸福量がでっかいとうれしい~~~」という漠然とした気持ちです.画面の前のクソオタク君は「主語デカすぎ,書き直したら?笑」と思ってるかもしれませんがぼくはマジのマジでそういうきらいがあります.いや本当に.

 

で,ぼくは別に人助けをしたところで気分を悪くしたりはしないし*2多くの人間はきっと助けられたら気分がよくなると推察されるので,結局この意味でもぼくは人助けをした方がよいというわけです.これそのうちなんらかの非営利団体に莫大な金を寄付する狂人とかになってしまいそうで怖いな,その時は誰か止めてください.そしてそのお金で一緒に孤児院を建てましょう.

 

 

 

というわけで,人の厚意には甘えておいた方がいいのかもしれないねという意味不明な着地点を見つけたところでこの話はおしまいです.少なくともぼくの厚意には甘えてください初対面の人!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!約束しましたからね!!!!!!!!!!!!!!!お願いしますよ!!!!!!!!!!!!!!!!次断ったら本当に容赦しねえからな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

ではぼくはさっきから目を背け続けている課題をやりたいと思います.それではまた.

*1:知り合いとかはこの限りではなく,今は初対面の人間を想定しています.

*2:それどころか,前述の理由で人助けした方がぼくは気分が晴れる(5000兆年間牢に幽閉されるとかだと流石に困るが)