酒と数学と(検閲により削除されました)

ブログタイトルは人生の目標です

生きるということの話

こんばんは,お久しぶりです.ぼくではないひとです.今日は便所の落書きをします.

 

 

 

 

 

 

今日は久々に泣いた.理由はわからないが,泣いた.ごはんを食べていたら泣いてしまった.本当に苦しい人は誰?

 

 

前にも記事にしたが,ぼくの人生はポイント制だ.人に親切にすることで,1ポイントを稼ぐ.稼いだポイントを消費して,毎日自己の生存を肯定する.

 

 

本当に苦しい.おそらく聡明な世間の皆さま方はこんな不毛なことしていない.好きなように生き,もっと純粋な気持ちで人に親切を施し,そうして社会は回っている.そんな世界の在り様の中で親切などとは口が裂けても言えない行為に,仮初の「親切」という名前を付け,必死に溶け込もうと頑張って生きている.本当に苦しい.

 

 

あと何年この行為を続けていけば良いのだろう.平均寿命は男性の方が短くて,でもぼくが大人(もう大人では?)になる頃には(多くの人間にとって喜ばしいことに)おそらく医療技術は発達し,人間百年時代なんて呼ばれているかもしれない.

 

 

ぼくはいま23歳で,80歳まで生きるとしても今までの人生の3倍弱の時間を過ごさねばならない.本当に?????あと3回これをやるの???

 

 

 

本当に苦しい.この苦しみはいつ癒えるのだろう.肯定されたい.赦してほしい.楽に生きていきたい.もうこんな生活はたくさんだ.窮屈な生に縋る滑稽な自分も嫌だ,じゃあ死ぬ?死なないが・・・

 

 

 

もし本当は他人なんてものがなかったらどうする?俺の自我だけが本当で,必死に自我の存在しえない人の形をした「何か」に自己の存在価値を保障してもらおうと奮闘する俺.きっとどんなピエロより道化だと思う.じゃあ今から世界,めちゃくちゃにしちゃおうか.

 

 

昔どこかのエッセイ漫画で,作者が「20代にもなってなんのために生きているのかを決めていない人」に愕然とするシーンがあったのをよく覚えている.その方は「美味しいものをたくさん食べるため」に自分は生きているのだと語っていた.ぼくはどうだろうか.

 

 

 

死ぬ苦しみと生きる苦しみを推し量りながら,毎日生きる方を選択している.先の質問に自分が答えるとするならば,ありていにいえば,死にたくないから生きている.死の恐怖は,その苦しみが本質的には測定不可能であることに起因していると思う.地雷の怖さはその威力ではなく,「この場所のどこかに地雷が埋まっている」という事実だ.踏み出したその一歩がどの程度の苦痛を伴うのか,誰も知らないのだ.だから人は地雷原の真ん中で動けなくなってしまう.そうすれば,少なくともいまその瞬間だけは強大な苦しみに苛まれずに済むから.

 

 

 

 

 

このまま,慢性的な生の苦しみを傍らに添えて生活を続けていくのだとしたら,いつまでもつのか分からない.多くの人間は年齢を重ねるのに従って脳の機能が衰えていくらしい.願わくば自分がある程度年を重ねたとき,認知が歪んでこんなこと考えられなくなっていてほしい.どうかこの文章が黒歴史として笑い飛ばせるようになっていてほしい.それを切に願っている.

 

 

 

 

 

 

 

 

それではまた.